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お酒についての覚書:官能的な『PINEAU DES CHARENTES Viewx Pineou』

 

 最近は睡眠相がぐちゃぐちゃになってしまって、一睡もできずに朝を迎え続けたり、かと思えば週末は二十四時間を超えて眠ったりしている。まだ五月なのにもう夜明けが早くなった。最近は夜明けばかり見ている。

 私の部屋は小さいので、大きな窓をふさぐようにして机が置いてあり、デスクチェア一つ分の距離をとったすぐ後ろにベッドが横たえてある。だからベッドに転がったまま、窓を見ることができるのだ。

 その半ばふさがれた窓にはカーテンが二種類かかっている。ミラーレースカーテンを一枚挟んで、それからさらに遮光カーテン。最近では遮光カーテンをわざと10センチほど開けてから眠るので、夜明けが降りてくると部屋の中に光が差してくる。

 

 夜明けの光は水色の薄明り。まだ太陽が顔を出し切らず、空が白んでいるだけだからだ。ミラーレースカーテンの白いくもりに包まれているので、いっそう柔らかく濁って見える。カーテンからこぼれてさす光は弱々しいので、部屋はほとんど湿ったみたいに暗いまま、白くくもった水色の一筋分だけが明るくなる。

 最近では四時を過ぎるころにはもうその光が訪れる。眠れない私はこのままベッドで窓をぼんやり眺めているうちにいつの間にか夏が来るのを想像する。夜明けの光はまぶしくなくて心地よいので、ずっとこうしていられる気がする。もちろん気がするだけ。ベッドに横たわっているだけでは暮らしていかれないから。

 私はあきらめてベッドから起き上がる。今晩も眠れなかった、といううんざりした悲しみをぬいぐるみと一緒にタオルケットにくるんで、お湯を沸かしてインスタントコーヒーを入れる。日中起きていられるようにすごく濃いやつだ。

 

 

 最後に、今日は寝酒にぴったりのお酒の一つを紹介する。

 

LHERAUD Viewx Pineou  PINEAU DES CHARENTES

(ピノー・デ・シャラント ヴュー・ピノー)

ピノー・デ・シャラント

 

 これは手軽に買えるというわけではないけれど機会があればぜひ飲んでみてほしいお酒の一つで、寝る前のホットミルクみたいにベッドの手前で飲みたくなるお酒だ。甘いから寝酒には本当は向いていないと思うけれど、でも本当にぴったりなのだ。

 

 ワイン専門店で購入したけれど、厳密にいえばワインではないらしい。ワイン樽が熟成しきる前にコニャックを混ぜて作るそうで、タイプとしては酒精強化ワインといわれるそう。

 香りも、ワインというよりはラム酒みたい。味わいとしては甘口だそう。お酒自体とろりと琥珀色をしているのだが、ワイングラスよりロックグラスで飲むほうがしっくりきそうな見た目と味がする。その「とろり」にふさわしく、はちみつやドライイチジクを思わせるような濃厚な甘さ。魔法使いが差し出してくれる夢の薬はこんな味ではないかしら、と思うような官能的な味であるものの、同時に濃くアルコールの味がして、それがとても複雑でおいしい。

 

 ちなみに購入時にはアペリティフないしデザートワインとして勧めていただいたのだけれど、一日の終わり、布団に沈み込んで夢を見るために飲むのが一番のお酒に思う。

 

誕生日の夜とスーパーで買える気軽なお酒:『MOUNT RILEY MARLBOROUGE SAUVIGNON BLANC』

 誕生日の夜はポポちゃんがカレーを作ってくれた。玉ねぎのすりおろしに漬け込んで柔らかくしてくれた牛肉、甘くて大きな西洋にんじん、私の嫌いなジャガイモはなし。

細かな皺のある桃色の美しい手をしたポポちゃんは、ときどきまるで神様のよう。

 


 今度で29になった。

 かつて親子では効かないほど年の離れた人と恋に落ちた頃、早く30歳になりたいと思っていた。手を繋いで歩いた時に、その人が周囲からの居心地悪い視線に耐えなくて済むように。

 その人が私の人生から出て行って、出て行ったすっかり後なのに、20代最後の歳だ。恋も出世も結婚も望まないので、特別感慨もなかった。生きているということは、たとえば電車の窓から、動き去っていく景色を見るともなく眺めているような感じだ。窓ガラス越しの風景は現実の街並みをうつしてなお、スクリーンの中の映画よりずっと遠い。深緑のシートに座って窓に息を吐く私自身はもうずっと昔から、75歳の老婆のような気持ちだった。

 窓の外のどこかにあの人もいるだろう。かつて私と手を繋いで電車に乗っていた、親子よりも年の離れたあの人が。たくさんの人が私の電車を降りて行った。

 

 ポポちゃんのカレーは本当に絶品で、普段食の細い私がこの日は驚くほどよく食べた。ポポちゃんはそれをとても喜んで、何杯でもよそってくれた。

 カレーの後はケーキではなくワインを飲んだ。マウントライリーという白ワイン。薄い葡萄色のゴブレットになみなみと白ワインを注ぎながら、私の胸に古い漢詩が過ぎる。勧酒。

 

 さよならだけが人生だ、という言葉は寺山修司の『幸福が遠すぎたら』が有名ではあるけれど、元を辿れば唐代の詩人、于武陵(ウ・ブリョウ)の『勧酒』に行き当たる。

有名なのは井伏鱒二の翻訳で、原文と併せて引いておく。

 

【原文】
勧君金屈卮
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離

 

【翻訳(井伏鱒二)】
コノサカヅキヲ受ケテクレ

ドウゾナミナミツガシテオクレ

ハナニアラシノタトヘモアルゾ

「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 

 

 この頃の別離というのは私たちのそれとはもう全く異なるものだったろう。旅立っていくその人とはもう連絡を取れるのかも果たして知れず、道中の安全もなく、訃報さえ聞けるのかもわからない。

 でも現代でだって、意志を以て別れた相手と再び巡り会うことなんてあるだろうか。数ある連絡手段のあるこの時代で、それでもなおさようならを決めたのだ。きっと永遠の別れになる。

 ところで件の寺山修司の詩はもちろん『勧酒』を引いたものだ。これも下記に引用しておく。

 

【幸福が遠すぎたら/寺山修司】
さよならだけが 人生ならば
また来る春は 何だろう
はるかなはるかな 地の果てに
咲いている 野の百合 何だろう


さよならだけが 人生ならば
めぐり会う日は 何だろう
やさしいやさしい 夕焼と
ふたりの愛は 何だろう


さよならだけが 人生ならば
建てた我が家 なんだろう
さみしいさみしい 平原に
ともす灯りは 何だろう


さよならだけが 人生ならば
人生なんか いりません

 

 混ぜっ返して「さよならだけが人生ではないから人生をやっているのだ」と言うようにも取れるけれど、「さよならだけが人生ならば人生なんかいらないのに(私の意思とは無関係に人生を始められてしまって、しかしそこには別れ難いものがありすぎて自らの手で閉ざすことができない)」とも取れる。私は後者のように思う。

 


 さよならこそが人生なのか、それはたぶんそうだろう。

 ごまかしはなしにしよう。確かに素晴らしいものに巡り合ってきた。春の風の甘い香りも夕焼けの青色も、愛する人の微笑みに刻まれる皺の愛おしさも私の人生にもたらされた。けれどそれら巡り合ったものはみなやがて私の人生を通り過ぎて行くのだ。あるいは私がたくさんのものを通り過ぎて行かずにいられないのだ。時を止める術がないから。永遠がどこにもないから。


 私はもうどこにも行きたくなかった。けれど電車は動く。神様に見捨てられた子供のまばたきみたいな速度で進む秒針が、私を毎秒今この瞬間から引き剥がす。百合の花びらの白さから、愛する人の乾いた指先から、ポポちゃんと2人で机を囲みワインを舐めるこの瞬間から。


 私はもう本当にどこへも行きたくなかった。

 どこにも行きたくないのだ。すでにたくさんのものが私を通り過ぎていて、別れを済ませたはずのそれらに引かれたままの後ろ髪はキリストの十字架を覆う蔦のように絡まり合って、それらのことを思い返すと息もできないようだった。

 苦しみに誇りなどは持てなかった。喪失は手に入れていた証などでなく、ただ端的に喪失にすぎないと知っていた。今だって失ったものを呼び戻せるなら、魂の半分はおろか血の滴る腹の肉さえ切り売りしただろう。


 もうどこにも行きたくない、と強く強く思った。美しい皺を目元に刻んだ神様のようなポポちゃんは機嫌よく、何度も何度も、おいしい?と私に聞く。汚れた二枚のカレー皿と濡れたゴブレットが転がる暖かな部屋。まだ私を通り過ぎていないものたち。やがて失われるものたち。どうして何も愛さずに生きていくことはできないのだろう。

 私はもう本当に、どこへも行きたくなかった。

 


 最後に飲んだ白ワインを紹介する。

MOUNT RILEY MARLBOROUGE SAUVIGNON BLANC

マウントライリー エステート マールボロ ソーヴィニヨンブラン

 ニュージーランド、マールボロにある家族経営のワイナリーだそう。

 辛口の白ワインで、お勧めの温度は8~12度とたっぷり冷やして飲むのがよいみたい。

 グレープフルーツのようなにがい酸味があって、甘みはほとんどないので好きではない人も多いかもしれない。下にべたつきもなく、さわやかで、なのにアルコールのとげはないため私はかなり好ましく思った。

 グレープフルーツの白い綿まで強く絞ったような苦くてさわやかな味の後、青草のような匂いが口の中を抜けていく。何の食べ物も邪魔しない、食事酒におすすめの一本だと思う。

蟹鍋の材料を買いに行く。

 先日の蟹鍋の残りでお出汁をとって明日の夜はお雑炊をしましょう、とポポちゃんが言った。

 なんでも、足の先の細いのや爪の小さいのなど食べるのが少し難しそうな部分だけ選り分けて冷凍したままにしておいてくれたのだという。私ははすっかり感動してしまった。楽しかった日に撮った写真を、後日アルバムにして差し出してもらったような気持ち。

 ポポちゃんの選り分けておいてくれたそれはバットが軽くいっぱいになる程度の量があり、割かし食べられる部分も多いようだった。それで、せっかくならくず蟹とお野菜を炊いた後にお雑炊にしましょう、ということになった。

 

 少し歩いたところにあるスーパーに、2人で出向く。そのスーパーには比較的大ぶりのお野菜が安く売っていて、お鍋の用意となるとそこなのだ。

 私はエコバッグを持たないけれど、ポポちゃんはいつもきちんと持っていく。元来マメな人なのだ。この日は「お野菜たちで大荷物になるから」と、新品のエコバッグを持って来ていた。それはトートバッグ状に折り畳まれており、留め具を開くとキャスター付きのキャリーバッグになるという素晴らしいもの代物で、なんとトートバッグの持ち手がそのままキャリーの引き手になるのだという。ポポちゃんは嬉しそうにそれを解説してくれた。

 

 スーパーに並べられたお野菜は何もかもつやつやと膨らんで大きく、白菜や長ネギや春菊や、それから今後のためのにんじんやトマト、最後に心弾んでハイボール缶を買うとかごはあっという間にいっぱいになった。

 いざお会計を終えて、荷詰め台の前でトートバッグを開く。

 なるほど小ぢんまりしたキャリーバッグが現れて、私たちはちょっと感動する。しかしいざキャリーバッグにお野菜たちを詰めると、ポポちゃんはたちまち険しい顔になった。お野菜たちがあまりにも立派だったので、どうかするとバッグから溢れそうな有様になったのだ。

 結局バッグはぎゅうぎゅうに重たくなってしまった。白ネギと、白菜の緑色をした頭がバッグの口から覗いている。

「まあなんとかなるでしょう」

 一緒に買ったハイボール缶をキャリーケースに入れるのを諦めて、ダウンのポッケに詰めこむと、キャリーケースを引っ張って、ポポちゃんは勇ましく歩き始めた。

「私が引こうか」

と申し出ると、ポポちゃんは大真面目な顔で

「あなたは身体が悪いから」

と拒絶する。確かに私は背中に重篤な問題を抱えてはいるのだが、とはいえポポちゃんは私よりおよそ30も歳上であるというのに。

 

 暗い帰り道を、二人並んでコロコロコロコロ、と音を立てて歩く。バッグを引いてくれるポポちゃんは、その重たいバッグに負けないよう、身体をほとんど斜めにしてすごい勢いで歩いて行く。重たくて疲れるのだろう、こまめに立ち止まり天を仰いで、またコロコロコロコロ。

「替わろうか」

と私が言うと、ポポちゃんは頑なに首を振る。けれどコロコロを体全体で引っ張るポポちゃんはもはやマイケルジャクソンのような角度になっている。もこもこの帽子ともこもこのダウンに包まれて、白ネギののぞくキャリーバッグを引きずるマイケルジャクソン。

 

 

私(左)とポポちゃん(右)

 マイケルは時々途方に暮れて夜空を見上げてはコロコロコロを繰り返し、ついに家に辿り着いた。

「疲れたねえ」

と私が言うと、ポポちゃんは、

「疲れたのはわたしでしょ!」

とごもっともなことを言う。そしてダウンからハイボールを取り出して手渡してくれた。夜気に冷やされてぴっとり冷たいアルミ缶。

 

「明日のお鍋、楽しみだねえ」

ポポちゃんはそう言ってにっこりとしてくれる。

スーパーで買える気軽なお酒:『LIEBFRAUMILCH MADONNA』

 インフルエンザの終わりに気管支喘息を引きずって長いこと臥せっていた。うとうとするばかりだったので、ブログを書くのは久しぶり。

 

 インフルエンザは、笑ってしまうほど高い熱が出た。皮膚の下がぴりぴりとしびれているようで、身体を動かすことが辛かったので、じっと時がたつのを待って暮らした。床に臥せている間は、空気の分厚いベールのずっと奥に春の気配を感じる日もあれば、そのベールごと凍り付かせて粉々に打ち砕くような寒の戻りもあった。身体中を毛布に埋めて、熱っぽい顔だけを空気に晒していると、暑さ寒さとは耳の奥に響く物なのだということを思い出した。

 

 食事が喉を通らなかったので、朝も昼も夜もアイスクリームばかり食べた。高熱の時は味がいくつにもぼやける。何を口に入れても舌にピンとこないのに、アイスクリームの冷たさだけははっきりとわかる。

 安静は必要なものの倦怠感の冷めた時期に差し掛かると、気に入りの甘口ワインを舐めて過ごした。風邪の時は少し味覚が変わる気がする。アイスクリームも甘口のワインも、普段なら口にしないものなのに。

 

 その「気に入りのワイン」とは、リープフラウミルヒの「マドンナ」。とはいえ、公式では甘口とは紹介されていない。辛口を1、甘口を5とした段階表ではちょうど中間の3とされている(でも私は甘口だと思う)。

 

リープフラウミルヒ〈マドンナ〉

LIEBFRAUMILCH MADONNA

 私はそもそもドイツワインが好き。

 以前紹介したセントミハエルと同じくドイツワインであるこのマドンナは、やはりセントミハエルと同じくリースリングも使用しており、とはいえ購入したきっかけはこのワインの名前である。 

 裏面のラベル説明曰く、次のように書いてある。

 

「聖母の乳」の名を持つ、ドイツを代表する銘柄の一つです。絶妙な酸と甘みのバランス、心地よい余韻をお楽しみ下さい。

 

 美しいのは名前だけではない。

 私はお酒そのものが好きだけれど、世の人はお酒それ自体よりもお酒のもたらす酩酊を愛する人の方が多いようで、味それ自体は好きじゃない、という意見をよく耳にする。このワインはそういう人にもピッタリだと思う。

 

 まず、リースリングが飲みやすいのはもちろんのこと、これはやわらかなジュースのような味がする。「酸と甘みのバランス」と記載こそあるものの、酸味はほとんどないと言っていい。というか、お酒らしい果物の発酵による「酸い」ではなくて、果物ジュースのそれのような酸なのだ。甘いのに後味にはべたつきがほとんどない、りんごや青ぶどうを絞ったものを砂糖水に溶いたような優しいだけの甘さがある――確かこの言い方はセントミハエルの時のも使ったはずだ。この二つのワインは少し似ていると思う――。

MADONNA」の名前にピッタリだ。

 

 味で言えば、セントミハエルの方が私は好み。でもお酒の味自体は好まない、という人にはこちらの方がおすすめ。

 

 

 風邪で鈍い舌でマドンナを舐める間中、小さい頃のことを思い出していた。私は病がちな子供で、病院へ行かない週はないような子供時代だった。

 体調を崩すと味覚が変わり、水やお茶を苦い、くさいと言って飲むのを嫌がったらしい。とは言え私はジュースの嫌いな子供だった。飲ませられるものが何も無くなってしまうのだ。

 母はもちろん困り果て、困った末に、院内に売っていた「はちみつレモン」というものを買ってくれた。それはディズニーのクマのプーさんのイラストフィルムが巻かれたペットボトルで、わたしはそれを大層気に入り、それだけは大人しく飲んでいたらしい。

 

 要するにただのレモネードだと思うのだけれど、あの味は今でも覚えている。ぼんやりと甘くて、優しい味だった。

蟹鍋を食べました。

一月の初めにほんの少し顔を出した春の気配が嘘のよう。今日は指がちぎれそうに寒い。私は手袋というものがあまり好きではないので(あれは存在の輪郭がはっきりしすぎてしまうと思う)、真っ赤に色を変えた指先をコートのポケットに入れてやり過ごした。

 


昨夜は蟹鍋を食べた。

これは家で準備して食べたのだが、家で蟹を食べるとなると大抵は冷凍になる。ネットで頼むにせよスーパーで買うにせよ、活〆の蟹はあんまり見かけないので手に入らない。というか手に入ってもたぶんちょっと怖い。ちなみに今回はスーパーで買って用意した。

 


冷凍の蟹の悪いところは、解凍作業があるところ。

我が家で少し豪華な食事をするときは、私はお財布担当、ポポちゃんは調理担当である。だから前日の解凍準備からポポちゃんがひとりで頑張ってくれるのだけれど、蟹という生臭くて大きなもののそれが結構大変そうで見ていて偲びない(でも私は手伝わない)。

 


その役割分担は私たちの暮らしを成り立たせる一つの輝かしい約束だと思っているし、翌日の蟹鍋の日はやらなければならないことがたくさんあったので、私はその整理をしなければいけなかったのだ。それで前日の夜、ポポちゃんが蟹鍋の準備をしている隣で私はto doリストの作成に勤しんでいたのだが、ポポちゃんが不意にそばまでやってきた。

 


「明日やることはこれで全部?」

私の手元を覗き込む。

「そうだね」

私が請け合うと、ううん、とポポちゃんがペンを取る。

「明日の一番大事なことはこれ」

そう言って、to doリストの端っこに食パンの薄切りみたいな形を描いた。なんの記号かわからずに、私は眉をひそめて聞く。なあに、これ。

「えっ、わからないの」

ポポちゃんはびっくりした顔をした。そのあとうふふと笑ってて、しょうがないなぁ、と再び腕を動かした。

「でもこれを描いたらもうばれちゃう」

「…」

食パンからさらに何かが生えた。虫みたいなうねうねが食パンの横にくっついている。でもちっともわからない。渋い顔の私を見て、ポポちゃんはええ、っと心底驚いたあと、渋々と、でもすっかり正解を描いてくれた。

「明日一番大切なのは、蟹!でしょ」

 

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※ポポちゃんの描いた蟹(トナカイと蟹のキメラにしか見えない)


そう、冷凍の蟹のいいところも、やっぱり解凍作業があるところなのだ。解凍中の蟹が冷蔵庫で眠り始めるから、蟹鍋の雰囲気が前日の夜から始まる。明日は蟹のお鍋だ、という空気がずっと家の中にある。そわそわとのんびりとふわふわ。


蟹鍋はもちろん美味しくいただきました。

スーパーで買った蟹は結構美味しくて、来年もまた買おうね、と言うと、ポポちゃんは嬉しそうにニコニコしていた。

スーパーで買える気軽なお酒:『Patriarche Chardonnay BRUT』

 今晩はいたるところで大雪の気配らしい。私の住む街は比較的あたたかいためきっと雪は降らないけれど、それでもぐっと冷え込むはずだ。夕食はうんとあたたかいものにすると思う。

 

 そういえば先週の月曜は成人式だった。

 私の大切なパブロくんは、私の記憶が正しければこの成人式に晴れのスーツに袖を通したはずでだ。もっとも私の成人式は遠い昔の話だけれど、なにせ彼と私には片手の指では足りないほどの歳の差がある。

 私は成人式には行かなかった。故郷を離れてもう幾つもの時が流れていたし、そもそも友人というものの少なかった私には郷愁を呼び起こす顔もなかった。記憶の中の旧友というものはみな、かすみがかった顔をしていて、制服の深い紺色だけを覚えている。

 

 私がお酒の味を覚えたのは多分人より少し早かった。悪い友達の一人もなく、ただ一人酒の好きな子供だった。一方でパブロくんはすばらしい少年で、なんとまだお酒を飲んだことがないという。

 

 ところで私はパブロくんとお酒を飲むことがある。もっとも電話越しのパーティーだ。薄っぺらい機械越しに遠い遠い距離を隔てて、お酒を飲むのは私だけ。パブロくんはミルクティとか紅茶とか、たいていそういうものを飲む。

そういう私だけ酔っ払った夜に、いつかパブロくんが大人になるときは、一緒にお酒を飲みましょう、と約束を何度もした。約束しながら、まさか彼が本当に大人になる日が来るとは思っていなかった。別離を予感していたわけではなく、ごく単純な意味において。パブロくんは私の人生に少年の形をして現れたから、少年という言葉と不可分に結びついて思えたのだ。大人になった姿を永遠に描かれることのないピーターパンやムーミンみたいに。

 

 人生で初めてのお酒に、これならば飲みやすいのでは?というお酒を紹介して今日は終わりにします。

 パトリアッシュ シャルドネ・ブリュット

パトリアッシュ・シャルドネ・ブリュット

 ブドウ品種はシャルドネ100%使用。
 ここで紹介するものは大抵スーパーでお手軽に買えるお酒ばかりなので、これももちろんそう。おまけに千円台で買えるたいへん安価なスパークリングワインなのだが、これはたいへんおいしかった。

 まず、いかにもアルコールっぽい、鼻の奥を抜ける嫌な感じがない。その手前、口蓋の中でふっ、と抜けるので刺さるような感じがしない。
 スパークリングワインの酸味もほとんどなく、そして辛くもない(でも分類としてはやや辛口に入るよう)。うっすらと甘いくらい。舌にのせた感じもさらさらとして飲みやすく、きれいなお酒だった。炭酸もすっきりと柔らかくて、なんというか、清潔な感じ。
 それから、清潔な花のような香りがする。

 

 ちなみに、もし私がパブロくんにごちそうするならば全然違うお酒にすると思う。

 これは若い人が気軽に買える楽しいのお酒としてお勧めのスパークリングワインであって、私が大切な友人の20歳の門出をお祝いするのなら、またそれは別の話。もちろん、スーパーで買えるお酒であっても。

初詣の記録

 初詣は年も明けてずいぶん経ってから行くことになった。年の瀬にした怪我が思わぬ形で長引いて、とても動けなかったからだ。

その日空は高いのに曇っていて、冬の曇り空は常に天の低いものだと思っていた私は不思議に思った。強い風がびょうと吹き、その年一番の寒さだった。家を出る前にポポちゃんはお湯を沸かして紅茶を入れ、魔法瓶に詰めていた。

「水筒を持っていくの?」と聞くと、

「寒いから、あったかいお茶がいるでしょ」と言った。

はちみつの紅茶だという。あたたかい飲み物なら自販機で買えばいいのに、と思ったけれど言わずにおいた。ポポちゃんはときどき、絵本に出てくるハリネズミのお母さんみたい。あるいは森でパン屋を営むクマのよう。

 

 出向いたのはポポちゃんと私のお気に入りの神社。

 私たちはたびたびここへ来る。一度厄払いの祈祷もしていただいたことがある(特段厄払いで有名な神社ではないのだけれど)。一番初めに訪れたのも真冬で、そのとき神社のそばのお蕎麦屋さんでお蕎麦を食べて帰ったのだが、それが思いがけずあたたかくておいしくて、たぶんとてもよいお参りだった、という記憶になったのだ。それから何かと言えばこの神社である。

 

 お参りの後、祈祷を申し込みに社務所へ行った。

 それぞれ祈祷申込書を選ぶ。とはいえポポちゃんも私も厄払い。ポポちゃんはもうすぐ還暦を迎える。厳密に言うと数え六十一の厄年には前厄が存在しないらしいのだが、ポポちゃんは数え六十は前厄の歳だ、と信じている。それで厄払い。

 私は特別厄年ではないけれど、私はいつも厄払い。

 

「次の回でお呼びします」とのことで、番号札をいただいて待機所で待つことになった。本殿に手を合わせたときは本当に凍えるほどに寒かったので、室内の待機所にほっとする。寒さの余韻を感じつつ腰かけたとき、ポポちゃんが魔法瓶をにこにこと取り出した。例の、今朝いれた紅茶だった。

「寒かったから、紅茶のもう」

そう言って水筒の蓋を開けてくれる。その瞬間、もくもくと湯気が立ち上った。沸かしたてのやかんみたいに。ちょっと、人が飲める温度には思えないくらい。

 ポポちゃんがおそるおそる魔法瓶の飲み口に唇をつけて、そろりそろりと傾ける。

 

「飲める熱さじゃないんじゃない?」

と聞くと、ポポちゃんはしょんぼりしたような笑顔で、飲めるよ、と言った。それで私はあわてて、私も飲んでいい?と言って水筒を受け取った。

 覚悟を決めて水筒を傾けると、信じられない熱さの液体が流れ込んできた。消して飲めないことはないけれど、食道によろしくないだろうな、というようなぎりぎりの熱さ。

「無理しないで」

ポポちゃんが言ったけれど、飲めるよ、と返してもう何口かいただいた。多分飲まない方がいい温度だ、と思いながら。にこにこと自信たっぷりに紅茶をいれてくれた今朝のポポちゃんを世界中からまもりたい、という気持ちがしたのだ。大げさかもしれないけれど。

 

 祈祷も終えて神社を出た後、例のお蕎麦屋さんに入った。この神社をお参りした後の定番なのだ。人気のお蕎麦屋さんなのですぐに入ることはできず、店内での待機も不可とのことで、極寒の中でしばらく待った。せっかくだったので、紅茶をもらってもいい?というと、ポポちゃんは嬉しそうに水筒を渡してくれたけれど、ポポちゃん自身はもう飲まないようだった。やけどしそうなほど熱い紅茶をすすりながら、私はこの人にいいことばかりある一年になりますように、と思った。