先日、私にとって大きなお別れがあった。生きていれば春じゃなくても別れの季節だ。さよならはいつもそこら中に転がっていて、私たちはそれに気が付かないまま踏み越えたり、あるいは躓いたり、遠目に目視して二の足を踏んだりする。躊躇おうがやがてそこへ歩いていかねばならないのに。
冷夏も過ぎて日差しの匂いがし始めた頃に私はその別れの石を踏んだ。それは乾いた音を立てて砕け、破片が私の足裏を鈍い痛みでもって刺した。
私にとってこの青年との別れはもう何度目かだったから、あまりびっくりはしなかった。
彼はそういう質だった。彼と私はネットの海で知り合って、一度として会うことはなかったけれども、随分親しく連絡を繰り返した。彼は度々姿を消した。姿をくらますことを宣言する時もしない時もあったが、いずれにせよ、しばらくすると彼は戻ってきた。ごめんなさい、と言い添えて。
癖のように繰り返される失踪めいた行いを悪いこととは思わなかった。そういう風にしか生きられない人も、そういう風にしかやりすごせない時期もあるのだろう。彼は繊細だったし、潔癖だった。私はいつも彼が残していった、たとえば羽衣のような抜け殻を眺めて彼の戻りを待つともなく待った。戻るのか戻らないのかわからなかったから。けれど彼はその都度戻ってきた。戻ってきた彼を受け入れながら、でもいつかやがて本当の日が来るだろう、とも思っていた。
だから、ついに本当の日が来たのだ。
今度は、ああ本当にさようならなんだな、と思う事象で以って彼が姿を消したので、たぶんこれが最後で本当の別れなのだと思う。ここにはもう抜け殻も何もない。羽衣ごと彼は去った。どうして、と問うこともできないほどの沈黙だけがここにある。
たぶん、彼がこれまで度々姿を消してくれたことは、私にとって幸いだったのだ。突然の喪失に狼狽するよりも、予感していた虚無に追いつかれる方がずっと安全に思える。
あまり大袈裟に悲しんだりはしたくない。
本当の日が来たのだと受け入れて、こうして文字に起こして認めるまでにさえ少し時間がかかった。悲しみを外に表出することは別れを決定的で固着的なものにする気がしたし、でもそれ以上に、彼と私の間に起こった、彼と私との関係においてのみ訪れたこの別れを変質させてしまう気がして嫌だったから。その変質は、今回の別れで以って閉じられた私たちの思い出をも歪めるように思えた。だから私は慎重になった。けれどこうして書き残す時、彼のことを一体どう言えばいいだろう。
私は顔の見えない写真で初めて彼の姿形を知った。確かスーツを着ていたはずだ。高い背と長い手脚がまだスーツに馴染まなくて、私は若さというものがこんなにも隠しようがなく溢れでるものであることに驚いた。
彼は傷付きやすい子供で、ときどき天使みたいだった。もっとも彼は子供というにはもう大きすぎたけれども、子供と呼んで差し支えないほど私たちの間には十分な歳の差があった。けれど私がかつて、人生の縁から転がり落ちそうになった時踏みとどまらせてくれたのは彼の拙い言葉であって、それ以外ではなかった。私は時々彼にたくましい青年の顔を見た。
私を崖の淵まで追いやった苦しみを乗り越えて尚、彼は私の砦であった。崖の淵から引き返した後の方が人生は地獄に似ていたが、それでも私はこの世に一ついいものを知っている。そう思えることは私を安心させてくれた。私の人生の美しいもの。朝靄の中に聞こえる笛の音、狐の嫁入りの奥の青空、ゴミだめに落ちている木彫りの天使、そして子供のような青年。
話していると、時々、「私は彼にとってのわざわいだ」と思うことがあった。彼は素直な若木であって、彼より長く生きているためだけにやや知識のある私を太陽のように見上げてくれた。でも私は燦然と輝く太陽ではなく、墜落していく火球であった。私が与えるものは木々を青々と育てる日差しではなくただ燃え落ちていく死の光だ。火球を太陽と誤って見上げる若木は正しいものを得られずに、やがて枯れ落ちるだろう。
彼が健やかな声で私を呼ぶとき、私は自分の人生を恥じた。与える日差しを持たず、火球になる他ないものとして辿り着いた私の人生を。私は、私が太陽ではないことに彼が気付くのを待った。私から失うことはできなかった。
彼は時々謎めきたがり、私はそれを押し開かずにいたかった。私はあけすけに話すふりをして、喜ばしくないことをできる限り覆い隠した。私たちはお互いに本当のことを恐れていたと思う。
彼はやがて私が太陽ではないことを予感し始めた。彼は太陽を必要とする若木でないふりをしてくれた。私は彼を必要とする私が怖かった。彼がやがて本当の太陽を求めてここを去っていっても、傷付かない私でいたかった。傷付くことと相手を責めることはとても近いところにあるから。私は彼を責めることはしたくなかった。絶対に。
私はまだ墜落していく一瞬の中にあり、けれどもう地表にあの青々と美しい木の影も見えなかった。彼は枯れる前に太陽を見つけただろうか。あるいは若木でいることをやめたのだろうか。
私の知らない熱烈な曲のタイトルや、美しい海の風景、大切にしているぬいぐるみ、街で見つけた面白い看板。彼が私に見せてくれたもの。ぜんぶ美しかった。私は彼を通して世界を見た。彼がくれる写真に映るもの全て、私の目を通しては見つけることのできない美しいものたちだった。
彼の写真は私の人生の慰めで、そしてそれを差し出してくれる彼は私の人生の美しい贈り物だった。彼には彼の人生があり、私が触れたのは彼の全く枝葉であったのに、それでも彼は純然として私のための少年だった。
私の砦は去ってしまった。それでも、彼が今もずっと美しいものを見つけてくれたらいいと思う。そして私が彼に見せたものは全て忘れてしまっていてもいい。今ただしい太陽を見つめてくれたらいい。
さようなら!





