spring has come

27歳の日々について

34.12月14日:たくさんの宇宙人たち

 あと二週間で一年が終わる。

過ぎていく時間には二種類あると思う。文字通り、自分を通り過ぎていく時間と、自分の中に堆積していく時間。この一年は、自分を通り過ぎていく時間を過ごしたと思う。私の中に堆積したものはたぶんない。

 

 人生にとって大切な人間というのは、その段階において変わると思う。

親だけが大切な時期、親と、それから友人の一部が大切でそれだけが世界のように思う頃、新たに獲得したパートナーがすべてである時期。

 私の人生にとって大切な人間は今四人いる。母と、パブロくん。それから伊集院さんと、失った恋人。むしろその四人だけが私の世界の全てだと思う。今のところね。

 

 この、過ぎて行った一年の中で私が知ったのは、たとえ世界の全部くらい大切な人間でも理解しあうことはできないということだ。他人だからわからないこともあるよね、というレベルではない。双方宇宙人みたい。宇宙人が、たまたま「日本語」をそれぞれ母語としていて、でもその「日本語」の意味するところはそれぞれの星で違っているという感じ。たまたまそっくりな言語を使うので、まるで自分たちと同じ言語を使う相手で、それが通じると思い込んでいるだけで、本当はまったく異なる言語で会話しあおうとしているみたい。ちぐはぐなのだ。はじめから通じるはずがない。

 

 人間が、「このひとこそ私の探していた人だ」と思うとき、それはこの人の使う日本語がより私と似ている、というときか、あるいはまったく似ていないので却って理解しあえると期待しなくていい、ということなのかもしれない。

 自分に似ている(ような気のする)人か、自分とまったく違う人ばかり好きになるでしょう、人間は。

 

 私が人生で初めて「この人の言う気持ちを知っている」と思ったのは、遠い昔に死んだ人間の本だった。私の愛する人たちにとって、私の悩みは深刻ぶっていて、重々しく、安全圏に身を置いた人間の寝言に過ぎないのだった。悲しいことに。

 来年は、たくさんの人により近い「日本語」を使える人間になりたい。

 私の言葉は辺鄙な「日本語」で、チューニングの合わない音楽みたいに周囲と調和できなくて、周囲も私も孤独にさせるから。