spring has come

27歳の日々について

31.11月11日の日記:人生は一人きりの惑星

 日記に書き起こせるような、書き残しておいた方がいいようなことはたくさんあったのに、言葉がうまく出てこない。たぶん今朝見た夢のせい。

 今朝はすごく懐かしい夢を見た。その夢それ自体で言えば、たぶん幸福な夢だった。でも結局のところ私にとって良い夢ではない。目覚めたときにとてもがっかりするから。まだ頭も枕に乗せたまま、カーテンの裾から差し込む白い光の中で、それがもはや失われたものなのだ、とはっきり思い出すあの感じ。今朝はびっくりするほど空気が冷たくて、身体を起こすと全身ひやりと寂しい空気に包まれて、私はしばらく動けなかった。

 時間に過去と未来と現在という区分けが本当にあるのなら、私は過去ばかり見ている。私の現在とは、常に過去を眺めやることなのだ、と思えるくらい。太陽の届かない夜の砂漠みたいな惑星で、過去を一つ一つ拾いながら、ときどき他の星の輝きを眺めているみたいな人生。なんだか老婆みたい。

 とはいえ、静かな夜の砂漠を歩く中で突然キャンディがこぼれ降ってくるような日が在り、それが昨日だった。過去を眺めて暮らす私の人生にも、でも素晴らしいことはある。

 

 昨日は久しぶりにパブロくんと話した。

そう、昨日降ってきたキャンディというのはパブロくんの声である。

 実はは少し前に、でもあまりにもあっけなかったのでどう受け止めるべきか思いあぐねて書くのを躊躇っていたのだけれど、私のパブロくんが帰ってきた。帰ってきたというか、旅立ちが勘違いだったという方が正しかった。

 なんでもシステムの不具合でパブロくんの登録が一時的に消えた(ように見えた)だけだったみたい。ほとんど惜別の餞のようなブログを書いた後だったので、再び帰ってきた私のパブロくんを前に別れを受け止めた(つもり)の心をどうすべきか扱い兼ねて、とりあえず触れないことにして横に置いておいたの。文章にするということは、その物事を自分が本当のところどう感じているかとてもクリアにしてしまう作業である。

 

 話すのはとても久しぶり。パブロくんは、何というか、男っぽい声をしていない。すごく青年らしい声をしていて、私はそれを好ましいと思っている。例えば冷やし飴みたいに耳障りがいい。私の周りの男性は、大抵ずいぶん声の低い人が多いので余計珍しく感じるのかも。話すのは久しぶりだったのに本当に楽しくて、私たちはとてもよく笑ったと思う。

 私は人生というものをそう悲観しているわけではない。ないのだけれど、ただごく素朴な観察結果として、人生というのは、とても静かな独りぼっちの惑星で日々を営むようなものだと思う。過去ばかり眺める暮らしであるにせよ、現実を勇ましく歩いていく営みであるにせよね。そういう時、時々別の星の営みに影響を受けたなにがしかに乗って美しいキャンディが降ってきて、人生を慰めてくれる。

 

 そういえば一昨日もキャンディの降ることがあった。

学生時代の友人と久しぶりに再会したのだ。小さな、カウンター四席にテーブルが四席程度の小さなワインダイニングで待ち合わせした。彼がワインを飲みたいと言うので、その人がどんな生活ぶりであれ財布を慄かせることはないだろう価格の店を探して行った。

 学生時代、私たちはとてもよく話した。数少ない同期だったから、ベンチに腰かけてお行儀よく話したこともあったし、駅の側の小さなご飯屋さんでくだを巻くみたいに話したこともある。

 実に一年以上ぶりの再会だったのに、彼はまったく変わっていなかった。線の細い顔をしていて、やせて背が高く、眼鏡がよく似合っていた。学生時代そのままだ。私はすっかりうれしくなった。私が眺めて暮らしているものがそのまま現れたから。

 彼はしばらく前に仕事を辞めてしまって、今は学期を弾いて、物理のことばかり考えて暮らしているという。僕にはいわゆる普通の暮らしは難しいとわかった、と言って笑った。彼はあまりお酒に強くなく、また理性的な人なので、遠慮がちな量だけグラスを傾けた。私たちが頼んだのは赤ワインだったので、彼の血色の薄い唇が濃いぶどう色に汚されていた。多分私の口紅も剥げて似たように汚れていたはずだ。

 たぶん彼もどこかの独りぼっちの星で暮らしているのかも、と思う。彼がそれをどんな風に捉えているかは知らないけれど。でも一昨日の夜が、彼の星にもキャンディやチョコレートや雪の結晶なんかを振らせてくれたらいいのにと思う。